本日、関東甲信越は梅雨明け。
これから夏本番です。

分厚い専門書を抱えて、夜は読書会を。

一人で読んでいると、分からないことがそのままになってしまうことがあります。
「あれ?これってどういう意味だろう」
でも、分からないから調べようもなくて。

問い:「制約」の4つについて挙げられているけれど、最後の4つ目は一体何を意味しているのだろう?

そんなことを話題として投げかけると「ハンナ・アーレントの名前を出したかっただけなんじゃ」
なんて意見が飛び出たり、「日常生活における省察と、戦争という非常時における省察と、省察のレベルが違っても制約にはなり得ない、ということを示したいのでは?」という観点を提示してくれたり。

また、分からないことが分からない。分かったつもりで読み進めているところもたくさんあります。

問い:その行為中、真っ只中で省察をすることと、ある程度長期間でその期間の中で省察をすることと、違いはあるのだろうか?

「それって、Reflection in action と Reflection on action の日本語訳の違いがありそうじゃない?」
という、そもそもの原著の話になったり、看護や教育などの自分の職業体験の中から患者や生徒の反応を観てリアルタイムに何を判断し、何を変えてみるのか、なんて。

問い:本文中に「暗黙知」って出てるけど、この暗黙知って何を指している?

「マイケル・ポラ二ーが暗黙知って言い出したのって、ショーンの後じゃない?」
「いや、原注を見てみると、ポラ二ーの『暗黙知の次元』を参照しているよ」
「経済学的な観点からの暗黙知と、教育学的な観点からの暗黙知って、扱い一緒なのかな?」
「2章を見てみると、ショーンが暗黙知について言及してるよ」

というように、多角的に本文を読んでいく訳です。
これが読書会の醍醐味。ただ黙々と本文を追っていくだけなら、一人で十分。
だけど、一人でこの専門書を読んでいたら、きっとすぐに夢の中へ…
こうやって皆んなでワイワイとページをめくることで、一人でも読んでいける気付きのタネを仕込んでいるのだろうかと。

ちなみに。
「省察」この漢字を「せいさつ」と読むのか「しょうさつ」と読むのかは分かれるところです。
ですが、暗黙知について調べていたら2章で「せいさつ」とルビが振ってありました…
今日は9章を読んでいたのですが、副次的に大きなお土産となりました。